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殺処分の現状
7,687 + 30,757 = 38,444
2018年の犬7,687頭と猫30,757頭の殺処分の件数です。
ただの数字ではなく、罪のない生命が殺された結果の数字です。
殺処分(さつしょぶん、さっしょぶん)とは?
”人間の利害に基づいて動物を殺すこと。人間に危害を及ぼすおそれのある動物や、不要となった動物が対象になる。”
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/殺処分
殺処分の定義を見てお気づきかと思いますが、全て人間中心的な考えに基づいた行いです。
”不要”という言い方も人間にとって不要ということで、動物が生を全うすることを否定します。
人間の利害のみを考慮し、生きものが生きようという気持ちや生存本能を全て無視したものが殺処分です。
人間の利害にそぐわない動物は保健所に送られます。そこで一定期間の間に貰い手が見つからなければ、殺処分というのが一般的です。
殺処分の方法
殺処分の方法は、炭酸ガス、窒息死や注射などで行われています。
環境省の『動物の殺処分方法に関する指針』というものがあり、可能な限り殺処分対象の動物に苦痛を与えないことが求められています。
こちらの指針には、このようなことが書いてあります。
動物を殺処分しなければならない場合にあっては、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重する ことを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努める
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/laws/shobun.pdf
”生命の尊厳性を尊重する”とありますが、本当の意味で生命の尊厳を尊重するのなら、人間の利害のみで動物たちの生命を奪ったりしないはずです。
そもそも動物たちは生きることを望んでいるのに意志に反して殺すのは殺人と同じだと思います。
人間社会では、一個人の選択による安楽死もいまだに物議を醸しているのに、生命の意思に反して殺すことは苦しみを生むだけです。保健所に収容された動物にとっては、生きるという選択肢が奪われているように感じます。
殺処分の推移
以前は、安易に保健所に犬や猫を連れてくる人間(飼い主)の申し出を受け入れていたそうですが、動物愛護法改正後、終生飼養の責務(動物を生涯責任を持って育てる義務)があり、保健所が安易な引き取りの申し出を拒否できるようになりました。それに伴い、殺処分数も減少傾向にあります。
ペットショップ=エゴショップ
幼い頃誰もが夢見たペットショップのワンちゃんや猫ちゃんを飼うこと。
ふわふわで守ってあげたくなるような小さい生きもの。
コロナ禍での、ペットショップブームに違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか?
コロナ禍で、経営難や廃業を余儀なくされる企業や団体が少なからずいる中で、ペット業界は新店舗をつくり、規模を拡大できるほど売り上げが好調のようです。
なぜペットショップには”赤ちゃん”だけが売られているのでしょうか?
資本主義経済のなかで、ペットショップもお金儲けの場所と化した現代。
生まれて間もない子犬や子猫はか弱く、「守ってあげたい!」『私を必要としている』と思わ背、母性本能に働きかける。さらに、『抱っこしてみませんか?』と言い、赤ちゃんを触らせることで購買意欲はMAXになります。
売り手の戦略としては、幼く愛らしい時期に高く売りたいのです。
何かがおかしい…
あなたが、洋服を買おうか迷っているとしましょう。
すると定員さんは、『ご試着されますか?』など試着を進める言葉をかけるでしょう。
同じことがペットショップでも起こっているように感じます。
でもここには、大きな違いがあります。
ペットショップで売られている赤ちゃんは生命です。命があり、生きています。
ものが生きていないというわけではありませんが、人間も含め動物は飲んだり、食べることが必要になります。
『大きくなってお世話が大変だから』、『可愛く無くなったから』などの理由で簡単に捨てることなど許されないはずです。
また、ペットショップで”売れ残った”動物は、最悪の場合殺されることもあり得ます。
生命なので、いらなくなったらセカンドハンドや古着屋へという軽い気持ちではいけません。
生きている以上、動物には生存本能があり、『生きたい!』という思いがあります。
生命を売ることに違和感…
そもそものところ、生命に値段をつけあたかも商品のように売ることにすごく違和感を感じます。
以前、私なりにペットショップへ潜入したことがあります。ワンちゃんについて定員さんと色々話をしているなかで、生命に値段をつけることについて違うと思うと伝えたことがありました。
なんと仰天!!!
返ってきた言葉は、『ブリーダーさんが育てているので、それだけの価値はあります。』
あたかも、ワンちゃんの命は無視し、ブリーダーの労力にお金を払っていることが前提の話し方でした。(驚)
ただの商品として利用される生命も違うと思います。
人間の世界だと、人間に値段をつけて売る人身売買は、悪徳のように扱われ、非道だと考えられていますが、これが人間以外の動物や生き物になると当たり前のようになってしまう世界。
ペットショップをはじめ動物園、水族館やサーカスなども動物を”まなざす”対象としています。
可愛いの裏に潜む闇:ビジネスとしての生命の販売
生体販売という生命を売るビジネスは、動物を生きものとしてではなく、商品として扱っています。
パピーミルという子犬を生産する場所では、繁殖犬と呼ばれる母犬たちが子犬を産む道具として利用されています。ここでも生命としての尊厳がないのです。
母犬たちは身動きの取れないケージで過ごし、愛情を受けずに生きています。(もちろん動物福祉を考えたブリーだの方もいらっしゃいます)不衛生かつ犬を多頭飼育しているのでストレスも多い環境です。
大量生産、大量消費、大量廃棄の資本主義の時代のしわ寄せがここにもあります。
金儲けの道具として繁殖させる悪徳業者は、子どもを産めない犬は用無しとなします。
ペットショップでも動物の生命<利益が優先され、マネーマシーンとして扱われる動物たち。
生命に値段をつけ販売することそのものが罪だと思います。
生命はお金で測れるものではありません。 Priceless(お金で買えない)
ペットショップのあり方自体がそもそも間違っています。
殺処分とペットビズネスから見えてくる人間社会の課題
保健所に入れられた動物もペットビジネスで利用されている動物にも当てはまることは、彼らの生命の尊厳がないがしろにされていることです。
動物も生きています。生命です。生きている生物という点で、人間と違いはありませんがどうしても人間のエゴが最優先される地球。(ちなみに環境破壊も人間のエゴ…)
いらなくなったから捨てるという人間の身勝手さは異常です。
地球は人間のためのものではないのに、人間の利便性が最優先されるのはおかしいです。
人間のエゴイズムにより利用される罪なき生命。
多くの人間は、自分たちが地球上で一番賢いと思っているようですが、このような罪なき生命を殺したり、お金で測れないはずの生命を販売し、エゴまっしぐらの人間は本当に賢いのでしょうか?
私たちにできること🌱✨
- 生命を迎えることに責任を持つ
- ペットショップで買わない
- 里親で新たな家族を迎える
人間と共通言語を持たない分、動物の立場を反映させることが難しいように感じます。
しかし、人間と話せないからといって動物に気持ちや意思がないわけではありません。
生きものには感情や意志があります。
動物と暮らした経験がある方なら、共通言語がなくても意思疎通ができることをご存知かと思います。
共感力を広げ、生命を共有していきたいものです🌱✨
動物福祉に関連しているヴィーガンの倫理学もぜひcheck!